2007年03月01日(木)
第10回「ピアノの弾き方」 [コラム]
初めてピアノを見た時、何を感じるのでしょうか?
実は、こんな仕事をしていながら、自分が初めてピアノを見た時のことは覚えておりませんし、一般的なことも知りません。
さて、これはイタリア滞在中、カラブリア地方(長靴のつま先部分)に出張へ出向いた時の体験談です。
イタリアの中でも、貧しいと言われている南イタリア。
その中でも、特に貧しい地方の一つがカラブリア州。
そのカラブリアの中の、地図にも載らない小さな街。
そこで、ミニコンサートの仕事がありました。
小さな広場(と言ってもそこがメイン広場)に仮設ステージを設置、ピアノをレンタルし、
地元の演奏家による子供向けのコンサート。
私が到着した時、すでにピアノは開梱されておりました。
人気のない小さな広場で、淡々と仕事に取り掛かりました。
調律を終えた頃、地元の子供が一人、何やら話し掛けてきました。
実は、調律中終盤から、彼の存在には気付いておりました。
ずっと、物珍しそうに、こちらを見ていることも察知しておりました。
歳は、日本で言う小1ぐらいでしょうか、少年は、何だか凄く興奮しています。
辿々しいイタリア語ながら、何とか会話は成立したのですが、どうやら彼は生まれて初めて
ピアノを見たとのことです。
じゃあ、弾いてみなよ、とステージへあげ、触らせてあげました。
ドレミ、ぐらいは知っていたのですが、ピアノのことは全く知りません。
鍵盤を教え、これを押すと音が出るんだよ、と説明。
人差し指で恐る恐る押してみる少年。
小さな広場に、弱々しくポーンと響くピアノの音。
ドの音はどれ?
ここがドで、白い鍵盤を右に進むとレミファソって上がっていくんだよ。
ド・レ・ミと弾いてみて、更に興奮する少年。
そこで私は、ピアノの弾き方を簡単に教えてみました。
右手の親指でドを押さえ、レは人差し指、ミは中指、ファは・・・ほら、やってごらん。
覚束ないながらも、ド・レ・ミ・ファ・ソ・・・と奏で、小指まで消費しました。
さて、ラはどうやって弾かせようか・・・?
いや、放っておくと、彼はどうやって弾くつもりなのだろうか・・・?
また親指から始めるのかな?と思いましたが、彼の取った行動は私には想像すら出来なかった
奏法で、衝撃的でした。
ソを押さえた小指を軸に、掌を裏返したのです。
手の甲側、つまり薬指の爪でラを弾き、中指の爪でシ・・・
さて、日本の子供で、初めてピアノを見た時に、そのような弾き方をする子はいるでしょうか?
それ以前に、この少年と同年代の子供で、ピアノを見たことがない子なんているのでしょうか?
仮にいたとしても、このような弾き方をする子はおそらくいない、と思います。
理由は簡単、つまり誰でもピアノを知っているからです。
実物を見る以前から、様々な情報を知らず知らず身に付けているのです。
メディアを通して、話を聞いて、本や絵本で・・・
近所から音が聞こえることもあります。
ほとんどの幼稚園にもピアノはありますし、小学校には必ずあります。
だから、演奏が出来る出来ないに関わらず、どうやって弾くのかってことは、
誰でも知っているのです。
この少年は、貧しい田舎町の貧しい家庭で生まれ育ったのだろうと予想できます。
テレビもラジオもないのかも知れません。
ひょっとすると、まともな教育すら、受けていない可能性もあります。
両親や親戚、友達、知人の誰もが、音楽とは無縁の人生なのでしょう。
音楽に限らず、芸術は生きていく為に、本能的には必要なことではありません。
ほんの少しでもゆとりがあった場合、心の隙間を埋める為に必要かもしれませんが、
生きていくだけで必死な人もたくさんいます。
故に、ピアノを本当の意味で知らないという子供が、何人も存在するのかもしれません。
皮肉にも、ピアノはイタリアで発明された楽器です。
それから300年、イタリアでは、まだピアノを見たことがないという子供が、
おそらくたくさんいます。
遠く離れた日本では、誰もがピアノを知っています。
よく考えると、日本人は誰でも家族や知人、親戚など、身近な人付き合いの中に、
必ずと言っていいぐらいピアノを習っている人、習ったことのある人が存在します。
これは、世界でも有数のピアノ普及率の高さを裏付ける資料にはなりますが、それがそのまま、ピアノ文化の普及を証明しているとは思えません。
実際、現在の日本は、本当の意味でピアノという楽器の根付いた社会と言えるのでしょうか?
でも・・・何か、ちょっとしたきっかけさえあれば・・・・
そこから何かが大きく動き出す可能性があることを、私は信じたいと思います。
ピアノが生活に根付いた社会になる前に、もっとピアノのことを学んでおかないと・・・・
私にとってこの仕事は、そういった楽しみを見出せる場でもあります。
Posted by piano at 09時39分
2007年02月06日(火)
第9回「楽器の王様」 [コラム]
「私達ピアノは、楽器の王様という評価を頂いております。」
「そりゃおかしいで。楽器の王様はヴァイオリンのことちゃうん?」
「ほぉ、これはこれは。でも、ヴァイオリンは過去の楽器ですね?」
「はぁ?ピアノと違って完成されてるっちゅうこと?」
「はい、ピアノは確かに現代に生きる楽器なのです。ヴァイオリンと違って。」
「ほな、その現代に生きる楽器とやらで、持続音出せるん?」
「ヴァイオリンは、どれだけの和音を同時に鳴らせますか?」
「ロングトーンでのクレッシェンドもでけへん楽器っちゅうのも珍しいな。それぐらい口笛でも出来るで。」
「しかし、ピアノは最大限の音域を持っていますよ。」
「いくら音域が広くても、ヴィブラードすらでけへんから表現力に限界あるやん。それこそ口笛でも出来るで。」
「いえいえ、ダイナミクスの広さと、ペダリングなどの機能を駆使すれば、それぐらい充分に賄える程、芸術的な楽器です。」
「それはどうやろ。ヴァイオリンはそれ自体芸術品やけど、ピアノは大型消費材やないかな?」
「だから、現代に生きる楽器と言ってるではありませんか。ヴァイオリンは剥製みたいなものですね。」
「ピアノは調律してもらった音しか出されへんやんな。ヴァイオリンの音は、無限やで。」
「つまり、音程が狂うということですね?」
「微妙な音程が取れるっちゅうことや。それだけ表現力も豊かやねん。」
「でも、ヴァイオリンには弓が要る。弓には毛が、毛には松やにが要る。おまけに、弦は切れ易いし狂い易い。」
「狂っても曲の合間に自分で直せるけど、ピアノは狂ったら狂いっ放しやん。だから、ピアニストは音程分からんやつが多いんちゃうん?」
「とにかく、ピアノは大きくて立派だ。」
「ヴァイオリンは小さくても立派なんや。しかも、持って歩けるねん。」
「ピアノは持って歩かなくても良いのだ。王様らしくね。」
「そやのに、ピアノはオーケストラにも入れてもらわれへんやん?」
「王様にしては、やたらと大勢で弾かれるのですね?」
「ヴァイオリンとピアノを合わせることをな、ヴァイオリンソナタって言うんや。ピアノは伴奏、単なるおまけやねん。」
「ヴァイオリンソナタにはピアノの助けが必要だけど、ピアノソナタにはヴァイオリンの助けなんか要らない。」
「弦楽合奏の美しさに比べたら、ピアノの入ったアンサンブルってどうもパッとせえへんな。」
「ピアノトリオやピアノ五重奏って言葉、ご存知ですね?ピアノはいつでも主役なのです。ヴァイオリンは、その他大勢の一つにしか過ぎない。」
「でも、ピアノとちゃんとしたハーモニー創れるのって、ハープぐらいやん。」
「では、ヴァイオリンのリサイタルをピアノ無しでやってごらんなさい。」
「大体、ピアノは場所を取り過ぎで邪魔やねん。ヴァイオリンは狭い所でも弾けるで。」
「ピアノは、一台を二人で弾けますよ。」
「ヴァイオリンは、歩きながらでも弾ける。」
「ピアノは、ヴァイオリンより大きな音も小さな音も出せる。」
「でも、近所迷惑になっても移動でけへんし、引っ越す時は金掛かるやん。不便やな。」
「でも、ヴァイオリンと違って、盗まれる心配がない。」
「盗む価値すらないんやろ。」
「価値ないのはヴァイオリンでしょ。ピアノは多少傷付いていようが買い取ってもらえるけど、ボロボロのヴァイオリンは単なるゴミだ。」
「でも買い取ってすらもらわれへんボロピアノは、大型ゴミにも出されへんから、処分するだけで金掛かるやん。」
「確かに、ヴァイオリンは捨てるのが楽ですな。いつでもどこでも捨てられるし、ついでに言うと叩き壊すのも簡単ですね。」
「そやな、叩き壊す時に限っては、ピアノの方がやりがいありそうやな。楽しそうやしね。」
Posted by piano at 09時20分
2006年10月27日(金)
第8回「ヴェローナ」 [コラム]
イタリア北部に、ヴェローナ(Verona)という街があります。
毎年、夏になると、この街が誇る名所、アレーナ(Arena)というローマ時代の円形劇場の遺跡で、野外オペラが上演されます。
イタリア滞在中に、バカンス休暇を利用し、その野外オペラを鑑賞しに出向いたことがあります。
余談ですが、ヴェローナはシェークスピアの有名な悲劇、「ロミオとジュリエット」の舞台となった街としても有名です。
街の中心にあるエルベ広場(Piazza delle Erbe)のすぐ側に、ジュリエットの家があります。
ジュリエットが実在した人物か否か、無学な私は存じて上げておりません。
しかし、この家を訪れバルコニーを見上げると、有名なあのシーンを思い出さずにはいられませんでした。
さて、野外オペラに話を戻します。
私が観た演目は、ヴェルディの「アイーダ」です。
6月末頃〜8月末まで、5〜6本のオペラが日替わりで上演されております。(やってない日もあります)
たまたま「アイーダ」だったのではなく、「アイーダ」が上演される日に合わせてヴェローナを訪れたのです。
舞台が古代遺跡だけに、「アイーダ」が一番しっくりくるのでは、と予てから思っていたのです。
北イタリア一周の貧乏旅行の途中でしたが、一番の目的でもあった為、チケットも指定席を予約しました。
チケットを奮発したおかげで、ヴェローナという落ち着いた古都をゆっくりと散策することも出来ました。
ランヴェルディの塔から見下ろすレンガ色の街並みの美しさは、今でも心に焼き付いております。
中世から時間が止まっているのでは?という錯覚さえ覚えました。
一日掛けて名所を巡り、ゆっくりと夕食を済まし、いよいよオペラの開演です。
満員の観客のほとんどは、観光客です。
自由席で観る人は、場所取りのため夕方4時頃から並び始めます。(ちなみに開演は21時でした。)
オペラではありますが、皆気楽な平服での鑑賞です。
本番中でさえ、あちらこちらで写真撮影のフラッシュが光ります。
ジュースやスナックを口にしながら鑑賞する人も、たくさんいます。
野外の大きな会場ですので、オケも歌手もマイクとスピーカーを通した音になります。
これだけを聞くと、芸術なんかではなく、観光客相手の安っぽいショービジネスのように思えるかも知れません。
私も、そんな気持ちで開演を迎えました。
しかし、意外と言うのは失礼かもしれませんが、かなり質の高い上演でした。
遺跡の持つ独特の雰囲気を、最大限に利用した壮大な演出、セットや衣装などの、これ以上ない気配り、決して手を抜かないオケと歌手、特に印象的だったバレエの素晴らしさ。
オペラが総合芸術と言われる所以が、私なりにはっきりと理解出来ました。
ところで、私は日本でオペラを鑑賞したことがありません。
一番の理由は、法外なチケット代にあるのですが、それだけではありません。
勿論、それ程興味も知識もないことも原因です。
しかし、そうさせているのは、独断ですが、かしこまり過ぎていて敷居が高く感じてしまう為です。
もっと気楽に鑑賞出来るべきだと思うのですが、チケット代が高すぎる為か、それなりの服装でないと入り辛い雰囲気があるし、楽しめそうな気がしないのです。
娯楽を楽しむというイメージが涌かなく、苦痛に感じるだろうという予感しか持てないのです。
そう言えば、ヴェローナで観た「アイーダ」ですが、芸術としてのクオリティの高さも感動しましたが、娯楽としてすごく充実していたように思います。
とにかく、楽しかったのです。
ミュージカルを観た後のような満足感で、胸が一杯でした。
何が違うのか・・・
チケット代の影響もあるのでしょうが、オペラというショーの位置付けが違うのではないでしょうか。
つまり、客を選ばない雰囲気が、最初からあるのです。
やはり、オペラも芸術としてだけでは成り立ちません。
ショービジネスで良いのでしょう。
Posted by piano at 16時05分
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